100年以上、大切に受け継がれてきた鳥取のらっきょうの歴史

らっきょうは、中国の中部から東部地区原産の多年草で、原産地の中国では紀元前から栽培されていました。

日本への渡来の時期は不明ですが、9世紀頃(平安時代)の記録があり、主に薬用とされていたとあります。
らっきょうの利用法を明確に記載したのは「延喜式」というわが国最古の史書で、官選文集であるとされています。その巻第三十七・典薬寮に、「産自」の名称が記されていて、蓮白が薬用であったことが記載されています。

鳥取県でのらっきょうの栽培は江戸時代まで遡り、参勤交代のとき小石川薬園より持ち帰ったといわれています。他にも「小石川療養所(現小石川植物園)から持ち帰った」など説など諸説あります。その後、江戸時代頃には薬用としてではなく、食用として使用されるようになったようです。

鳥取砂丘地での栽培先駆者は大正3年(1914年)、福部海士(ふくべあもう)地区の濱本四方蔵氏が50アールで栽培スタートしたことが始まり。らっきょうは生命力が旺盛なため、砂丘地でも育つということから、当時は少数の農家で自家用として栽培されていました。

それまでは梨やスイカなどの果物を育てていたものの、保水力がないために実が大きくならず、そこでいろいろな作物を試した結果、らっきょうが向いていることが分かりました。鳥取砂丘のような地力が低く保水力・保肥力の乏しい土壌であり「不毛の地」とも呼ばれた土地でも生育することのできる乾燥等に強い「らくだ種」と呼ばれるらっきょうがこの土地に向いていたのです。

大正初期に産業組合が設立され、スプリンクラー灌水が導入された頃から本格的な大規模生産が始まります。

塩漬けおよび味付けの加工が始まったのは昭和40年頃。生産面積の増加によって大幅に出荷量が増えたが市場価格が暴落してしまい、これを機に農業協同組合が加工事業を開始し、加工原料として取り入れることで出荷調整し価格の安定化を図ることができるようになりました。

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