日本独自のつけものの歴史をひもとく

漬物は日本のみならず、世界中にピクルスとして存在します。そしてその歴史は、はるか昔から現代へと続いています。

人は海水から塩を取ることを覚えます。また、人間は食べ物の保存に塩が重要な役割を果たすことを知っていたため、遥か昔から塩を野菜や肉類の貯蔵に使用していたと考えられています。大和時代に、すでに塩漬けで食品の保存が行われていたようです。

 

6世紀中頃に出た中国最古の農業書「斉民要術(せいみんようじゅつ)」には、野菜の塩漬け方法などが見られ、これが世界最古の漬物の製造方法に関する文献とされています。

奈良時代

日本では奈良時代の平城京跡から見つかった天平年間の木簡に、ウリや青菜の塩漬けに関する記載があります。奈良時代には主に寺院の僧侶の食用として、茄子や瓜などの野菜の他に、モモなどの果物も塩漬けされていました。

 

平安時代

平安時代の文献「延喜式(えんぎしき)」に現在の漬物の原形が見られます。

 

  • アオナ、セリ、タケノコなどを楡の樹の皮と塩とで漬け込んだもの
  • アオナやカブなどを、塩、大豆、米で漬け込んだもの
  • カブ、ショウガなど荏胡麻の葉で包み、これを醤に漬け込んだもの

 

塩漬け、醤漬け、ぬか漬けなど、漬物のつくり方についての詳しい記録が残っています。

春にはワラビ・フキ・ウリなどの漬物、秋にはナス・ショウガ・カキ・ナシなどの漬物があったことが記され、当時からバリエーションが豊かだったことがうかがえます。

十世紀(923~930)

『倭名類聚抄』に初めて「大根」が出てきます。大根は紀元前4000年以前に日本に伝わっていたと推定されています。

 

鎌倉~室町時代

茶の湯や聞香(もんこう)の発達に伴い、漬物が「香の物」と呼ばれるように。

 

茶の湯や香道文化が発展すると、お香の香りを楽しむ「聞香(もんこう)」の際に、香りの強い漬物を口にして嗅覚をリセットするために、漬物が盛んに食されるようになったと言われています。

日本人が味覚や嗅覚が繊細なことが大きく関係していると言えます。

漬物には、味覚や嗅覚を一新する効果があったことから、香の物として茶の湯や聞香に取り入れられたのです。

江戸時代

野菜の種類が増え、全国から多くの商人が江戸に集まりだします。江戸時代初期には、江戸や京都、大阪に漬物専門店である「香の物屋」が誕生し大繁盛となります。

 

その結果、漬物の作り方が工夫されるようになりました。これまでは貯蔵を目的として漬けられてきましたが、短期間漬けて食べる当座漬けなどが研究されるようになりました。

 

「ぬか漬け」の出現もこの頃で、繰り返し使える漬け床が、漬物の一般家庭への普及に一役買ったといえます。ぬか漬けの出現は、家庭の漬物作りに大きな影響を与えます。現在のような飽食とは言えない時代において、繰り返し使える糠床の存在は非常に大きかったのです。

 

『本朝食鑑』では、大根の系統、栽培法、産地、利用法、薬効などが詳しく記載しています。

また江戸時代になると様々な漬物専門書が刊行されました。
最も有名なのは、天保7(1836)年に江戸の漬物問屋が著した『四季漬物塩嘉言』。小田原屋は江戸の漬物屋。
たくあん漬に始まり、京糸菜漬、たけのこ塩漬に至る、64種の作り方を解説しています。本書に記された漬け方は、現在とほとんど同一とされています。

明治時代 :

文明開化以後、食生活に西洋化の波が訪れますが、明治以降も依然として漬物は食卓の副食として重要な座を占めていました。

 

明治初期、東京などの都市部近郊の農家では、沢庵漬けや奈良漬けが副業とされます。副業として沢庵漬や奈良漬が作られることで、市民の需要を満たしていました。

大正、昭和時代

野菜を中心とした食材を漬けることを本業とする漬物製造業へと発展していきました。

 

糠漬けの出現は、家庭の漬物作りに大きな影響を与えます。現在のような飽食とは言えない時代において、繰り返し使える糠床の存在は非常に大きかったのです。
大正、昭和時代になると、野菜を中心とした食材を漬けることを本業とする漬物製造業へと発展していきました。

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